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それは夏休みを目前にした、真夏の太陽がじりじりと照りつける、七月のある暑い日の午後でした。

 野辺(のべ)送りの鐘の音がかんかんと鳴り響き、にいにい蝉の声でにぎわっていた神社は、急に静けさを取りもどしました。ゆっくりと鐘の音に導かれた参列者は、神社を通り抜け、回りくねった道を進み、見晴らしの良い墓地に着きました。

 四歳の弟・賢(けん)は急に病の床につき、あっという間に短い生涯を終え、今この墓地に埋葬(まいそう)されようとしていました。悲しみにくれる家族や縁者(えんじゃ)は墓のまわりに集まり、読経(どきょう)のなか埋葬をし、最後の別れと祈りを捧げました。弟・賢は、無縁仏・むえんぶつ(*)の墓石の下に葬(ほうむ)られました。埋葬が終わり、参列者は同じ道をもどり帰路につきました。やがて神社では、にいにい蝉の合唱がまた始まりました。

 八歳の五郎は一人、線香の煙が立ちこめる墓地に残って佇(たたず)んでいました。五郎には無縁仏という意味が分からず、何かしら恐ろしいものとして心に残りました。人はなぜこのようにあっという間にこの世を去り、死出(しで)の旅路(たびじ)に赴(おもむ)くのでしょう。二、三週間前まで元気に走り回っていた弟・賢が、わずか四歳のはかなく短い生涯を終え、あの世へ旅立ってしまったのか、言い知れぬ悲しみ、淋(さび)しさそして恐ろしさが五郎の脳裏(のうり)に深く刻(きざ)み込まれてしまいました。

 一陣(いちじん)の涼しい風が五郎の頬(ほお)をなぜた時、五郎ははっとしてわれに帰り、賢の魂があの世へ旅立ったと思いました。青い夏の空と遠くに白い入道雲が見える丘の上の墓地は、一瞬の静寂(せいじゃく)に包まれ、ばいばいしながら賢の魂が一筋の光となって、白く輝く入道雲に吸い込まれて行くように思われました。さようなら賢、さようなら……。

 死を目前にした賢は、もうろうとした意識の中で母に、『死んだら、のうのうかんじ(仏様)になるんだ』と言いました。母は葬式の夜、『どうして死ぬことが分かっていたんだろうかね。お迎えがきたのかね。かわいそうな賢』……と言って身を震わせながら絶句(ぜっく)しました。五郎も賢の「のうのうかんじになるんだ」という言葉を生涯忘れることができないでしょう。四歳の賢が、自分の死期をどうやって知ることができたのでしょうか。賢は急な病(疫痢)に倒れ、次第に薄れゆく意識の中で、父母と別れ、不安の中で死に逝(ゆ)く自分にどうやって耐えられたのでしょうか。

 五郎にとって賢との突然の死別は、深い悲しみと共に、死や無縁仏への不安や恐怖の根源(こんげん)となりました。今までに四人も愛するわが子を亡くして号泣(ごうきゅう)する母の姿と、自分の死への不安と恐怖が、深く脳裏にきざまれ、癒(いや)されることのない心の傷となりました。その心の傷はやがて五郎の成長と共に、死への不安・恐怖として、はっきりと意識の世界にその姿を現わしました(*この土地の風習で、未婚の子供は他の人に縁づいていないという意味で、無縁仏の墓石の下に葬られました)。